ルーズベルト大統領のマンハッタン計画で原子爆弾が開発されました。この計画により日本は原爆を落とされ世界は冷戦状態になりました。
このマンハッタン計画がなぜ立ち上げられたのか、どんな科学者たちがいたのか、世界で一番わかりやすく紹介していきます。
- マンハッタン計画とは?
- 参加していた科学者たちは?
- アインシュタインの真実
- 原爆の父の後悔
マンハッタン計画の概要
マンハッタン計画とは第二次世界大戦中に、アメリカのルーズベルト大統領が秘密裏に命令した原子爆弾開発計画プロジェクトのことです。
計画名の由来はプロジェクト本部がニューヨークのマンハッタンにあったため「マンハッタン計画」と名付けられました。
この計画の発端はアメリカがドイツの原子爆弾の開発に焦ったことです。
ドイツに対抗するために急ピッチで原子爆弾の開発を進められました。優秀な研究者や科学者を集めて、莫大な資金を投じて完成させました。
当時のレートで20億ドル、現在の換算だと約2.5兆円の規模の計画です。作業員などは約13万人集められました。
1945年に日本の広島と長崎に原子爆弾が落とされ数十万人が亡くなりました。
なぜ原子爆弾の開発を焦ったのか
第二次世界大戦中の1938年にドイツの研究者オットー・ハーンが原始核分裂を発見しました。
そして1939年に核を使って強力な爆弾を作ることができるとレオ・シラードが気付きアルバート・アインシュタインに相談しました。
アインシュタインはルーズベルト大統領へ「ドイツが発見した原子核分裂を用いて強力な爆弾を作ることができるかもしれない。ウラン開発を進めるべきだ」と手紙を出しました。
- 理論上は強力な爆弾が作れる
- ウランの開発を進めるべき
- ドイツが原子爆弾を持っているかもしれない
ルーズベルト大統領はアインシュタインからの手紙を見て「対抗するために原子爆弾を作るないといけない。」と考え、1942年「マンハッタン計画」を秘密裏に立ち上げました。
全てはドイツに対抗するために…
しかし終戦後ドイツは原子爆弾の開発をしていなかったことが判明しました。
アインシュタインの言い訳
アインシュタインは原子爆弾の開発をするべきとは言ってないく、なおかつアインシュタインはマンハッタン計画に参加していませんでした。
なぜならば「ウラン諮問委員会(マンハッタン計画)」がアインシュタインの参加を拒否したからです。
アインシュタインの政治思想では秘密裏に原子爆弾の開発を進めることはできないと判断されたのです。
しかしもアインシュタインがルーズベルト大統領へ送った、手紙がきっかけでマンハッタン計画が開始しました。
でもアインシュタインは何も知らなかったと。
その後、日本への原爆投下を聞いたアインシュタインは「なんてことだ。わたしは災いだ」と悔いたそうです。
「ドイツが原子爆弾の開発をしていないと知っていたら力は貸さなかった」と話しています。そして「私には何もできなかった」と語ったそうです。
多くの人が誤解していますが、アインシュタインは原子爆弾を作ったのではなく、原子力エネルギーの公式を作った人物なのです。
この理論を応用して作られたのが原子爆弾です。
ナイフを作り出した人が悪いのか、ナイフを使って悪さした人が悪いのか。後者に決まってるよね!
アインシュタインの最も有名な研究は下記から読めます。
マンハッタン計画の74人の科学者メンバーたち
全ての研究者たちは何かしらの賞を受賞している人たちです。直接、原子爆弾の開発をしていたわけでない人もいます。
しかしマンハッタン計画を知っていたのは間違いありません。このメンバーにアインシュタインはいません。この中でも特に有名な科学者は赤マーカーしてあります。
一覧の下に「原爆の父」と呼ばれる科学者についても書いてあるので最後までお読みください。
- ハロルド・アグニュー
- ルイス・ウォルター・アルヴァレズ
- ジョン・ヴァン・ヴレック
- ユージン・ウィグナー
- モーリス・ウィルキンス
- ロバート・ラスバン・ウィルソン
- スタニスワフ・ウラム
- ロバート・オッペンハイマー
- マーク・オリファント
- アルバート・ギオルソ
- ロイ・グラウバー
- クロフォード・グリーンウォルト
- ニコラス・クルティ
- レズリー・グローヴス
- ジョン・ジョージ・ケメニー
- マーク・オリファント
- ジョルジュ・コワリ
- 呉健雄
- グレン・シーボーグ
- ルビー・シェア
- レオ・シラード
- ルイス・スローティン
- エミリオ・セグレ
- 銭学森
- トム・ダウド
- ジェームス・L・タック
- オーウェン・チェンバレン
- スブラマニアン・チャンドラセカール
- G・I・テイラー
- エドワード・テラー
- アーサー・ジェフリー・デンプスター
- トニー・スカーム
- リチャード・トルマン
- ケネス・ニコルス
- セス・ネッダーマイヤー
- ジョン・フォン・ノイマン
- ノーマン・ラムゼー
- ルドルフ・パイエルス
- ノーマン・ハッカーマン
- ボリス・パッシュ
- リチャード・ハミング
- ウィリアム・ヒギンボーサム
- トーマス・ファーレル
- リチャード・P・ファインマン
- エンリコ・フェルミ
- マーガレット・D・フォスター
- クララ・ダン・フォン・ノイマン
- クラウス・フックス
- ヴァネヴァー・ブッシュ
- グレゴリー・ブライト
- ジェイムス・フランク
- オットー・ロベルト・フリッシュ
- フェリックス・ブロッホ
- ハンス・ベーテ
- ジョン・ホイーラー
- ジョン・ホイジンガ
- ニールス・ボーア
- デヴィッド・ボーム
- セオドア・ホール
- ブルーノ・ポンテコルボ
- ロバート・マーシャク
- エドウィン・マクミラン
- ハーマン・J・マラー
- フィリップ・モリソン
- ハロルド・ユーリー
- ピーター・ラックス
- ユージン・ラビノウィッチ
- ウィラード・リビー
- レオ・ジェームス・レインウォーター
- ジョセフ・ロートブラット
- アーネスト・ローレンス
- ブルーノ・ロッシ
- ヴィクター・ワイスコフ
- アルビン・ワインバーグ
マンハッタン計画で最も頭の良いノイマンについては下記から読めます。
>>【IQ300の天才】ジョン・フォイ・ノイマンの逸話と歴史
特にマンハッタン計画で有名なのは「ロバート・オッペンハイマー」です。彼は「原爆の父」と呼ばれマンハッタン計画の責任者なのです。
1945年7月世界初の核実験の後の貴重な動画が残っています。
私たちは世界が変わったことを知りました。笑う人、泣き叫ぶ人もいました。しかし多くの人は唖然としていました。ヒンドゥー教の聖典バガヴァッド・ギーターの一節を思い出した。 『ヴィシュヌ神の王子に自分の責任を果たせと説得するために化け物に変身しこう言いました。「我は死神なり、世界の破壊者なり」』みんながそう思うだろう。(訳:不思議な世界のミィ)
自分をヴィシュヌ神に置き換えて話しているのでしょう。
ロバート・オッペンハイマーは原子爆弾の投下に後悔してます。
悲劇のヒロインを気取ってるよね。日本に落とすことを決めたのもロバート・オッペンハイマー。
その後、ロバート・オッペンハイマー所長を務めた研究所については下記から読めます。アインシュタイン、ノイマンも研究員でした。
>>【日本人もいる!】天才が集まるプリンストン高等研究所とは何か?
マンハッタン計画のまとめ
- 1941年に開始する
- ドイツの核兵器保有への対抗
- アインシュタインの手紙がきっかけ
- 計画の規模は2.5兆円,、13万人
- 1945年に日本へ原爆が投下
- 著名な研究者が参加していた
この計画の始動により日本に原爆が落とされることになりました。しかしこの原爆の衝撃により世界は冷戦状態になり、結果的には…という話も聞きます。
またこのマンハッタン計画の核実験がなかったら核の進歩は数世代遅れていたとも言われています。
日本に原子爆弾を落とし、その惨状を見た科学者の中には病んでしまった人も多くいます。