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【原爆の父】オッペンハイマーの真実!後悔の日々と残した名言集

【原爆の父】オッペンハイマーの真実!後悔の日々と残した名言集
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「我は死神なり、世界の破壊者なり」この名言を残したのがオッペンハイマーです。原爆の父と呼ばれ、原子爆弾開発プロジェクト「マンハッタン計画」の主導者でもありました。

そんなオッペンハイマーはどんな人物なのか、彼の原爆に対する後悔の日々や残した名言などを紹介していきます。

オッペンハイマーとはどんな人物?

ニューヨーク

本名はジュリアス・ロバート・オッペンハイマーと言います。

オッペンハイマーはドイツからの移民を父を持ち、母は画家エラ・フリードマンでした。父は事業で成功しており裕福な家庭で幼少期を過ごしました。

幼少期から非常に頭が良く数学や化学に興味を持ち、六カ国語話すことができたそうです。

一方で運動は苦手で友人と外で遊ぶことは少なかったようです。しかし乗馬とセイリングは好きだったようです。

セイリング

12歳で鉱物学についての論文を発表しており、その秀才さがよくわかります。

そして18歳でハーバード大学へ入学して、化学を専攻して3年で卒業しています。21歳でケンブリッジ大学へ留学して量子学を確立した「ニールス・ボーア」に出会います。

ニールス・ボーア

この出会いでオッペンハイマーは、化学から理論物理学へ興味を持ち、さらに勉強をするためにゲッティンゲン大学へ入学します。

この時、後のノーベル賞を受賞するマックス・ボルンと共同で「ボルン–オッペンハイマー近似」を発表しました。

マックス・ボルン

1942年に原子爆弾の開発を秘密裏に進める「マンハッタン計画」に参加をし、1943年にロスアラモス国立研究所の初代所長になり原子爆弾開発を主導していきました。

そして1945年に世界初の核実験をニューメキシコ州で行いました。この実験は「トリニティ実験」と呼ばれています。

トリニティ実験

オッペンハイマーは原子爆弾の破壊力を世界に見せつけ戦争を終わりにさせようと考えていたそうです。

しかし国は普通の兵器と同じ扱いをし、1945年8月に日本へ原爆が落とされてしまいました。

オッペンハイマーは実際に威力や被害を目の当たりにし深く後悔したそうです。また原爆が自分と意図違うことに使われ絶望したとも記録されています。

1947年にはアインシュタインも教授だったプリンストン高等研究所所長に任命され、アインシュタインともに核兵器の取り扱いの危険性を訴えたそうです。

アインシュタインの代表的な研究は下記から読めます。

>>【世界一簡単】アインシュタインの相対性理論とは何?

プリンストン高等研究所

また原子爆弾の数百倍の威力のある水素爆弾を作った「水爆の父」と呼ばれるエドワード・テラーと対立したとされています。

マッカーサー

1954年のマッカーサーが行った共産党員追放の活動「赤狩り」とにより職や権威全てを失ってしまいます。1967年に咽頭癌で亡くなりました。

オッペンハイマーの年表

オッペンハイマー
オッペンハイマーの歴史
  • 1904年(0歳)オッペンハイマー誕生

  • 1916年(12歳)鉱物学の論文発表

  • 1922年(18歳)ハーバード大学へ入学
  • 1925年(21歳)ケンブリッジ大学へ留学
  • 1926年(22歳)ゲッティンゲン大学へ転学
  • 1929年(25歳)カリフォルニア工科大学と助カリフォルニア大学の助教授
  • 1954年(50歳)赤狩りに遭う
  • 1967年(63歳)咽頭癌で亡くなる

オッペンハイマーの後悔

オッペンハイマーは原爆を日本へ投下したを後悔しているようです。一般的な兵器と同じ扱いで使われてしまい、日本の実際の惨劇を目の当たりにしてしまったからです

「原爆の父」と呼ばれ非難されるようになりました。

そのことについての言い訳が下記の動画です。下に翻訳も付いています。

J. Robert Oppenheimer: "I am become Death, the destroyer of worlds."
私たちは世界が変わったことを知りました。笑う人、泣き叫ぶ人もいました。しかし多くの人は唖然としていました。ヒンドゥー教の聖典バガヴァッド・ギーターの一節を思い出した。
『ヴィシュヌ神の王子に自分の責任を果たせと説得するために化け物に変身しこう言いました。「我は死神なり、世界の破壊者なり」』みんながそう思うだろう。(訳:不思議な世界のミィ)

オッペンハイマーの名言

  • 我は死神なり、世界の破壊者なり
  • 技術的に甘美なものを見た時には、まずやってみて技術的な成功を確かめた後で、それをどう扱うかを議論する。
  • 科学者は罪を知った。
  • 原子力は生と死の両面を持った神である。

上記のようにオッペンハイマーは多くの名言を残しています。

しかし、原爆を落としたあとこのようなことを言っていたのにも関わらず水爆には反対したとちょっと一貫性がないように思えます。

個人的には原爆以上の力を持つ、水爆を開発したエドワード・テラーに嫉妬したのではと思っています。あるいには本当に心が病んでしまったのか…

数十万人の命を奪った計画の主導者の気持ちなんて知りたくもないけど

オッペンハイマーのまとめ

オッペンハイマーは原爆を日本に投下してから、自分の過ちに気付き核兵器の扱いの危険性を訴えるようになりしたが、被害や規模は予測出来ていたと思います。

原爆を投下後に科学者から政治家になってしまったような気がします。

そして最終的には「赤狩り」に遭い政府に監視下に置かれてしまいます。

原子爆弾の開発に影響を与えた人物ですが一貫性に欠けるオッペンハイマーでした。