女性から男性へチョコレートを贈るバレンタインデーは現在日本で定着しています。しかしバレンタインデーは日本古来の文化ではありません。それではどこからバレンタインデーが始まったのでしょうか。チョコレート業界の闇も含めてわかりやすく紹介していきます!
- バレンタインデーはなぜ日本文化に定着したのか
- バレンタインデーはいつから流行り始めたのか
- お菓子業界の闇
バレンタインデーを流行らせたには誰?
世間で言われている「誰?」には2説あります。
今回はその2説ともわかりやすく紹介します。
1. モロゾフ株式会社
モロゾフのオススメバレンタインチョコレート。
1936年にモロゾフは「バレンタインにチョコを贈りましょう。」と広告を出しています。この会社がバレンタインに初めてチョコレートを贈ろうと言い出したそうです。
英字新聞 The Japan Advertiser(1936年2月12日)
2. 株式会社メリーチョコレートカムパニー
メリーチョコレートのバレンタインチョコレート。
1958年に株式会社メリーチョコレートカンパニーが、伊勢丹で「バレンタインデーのチョコレートセール」を始めました。
翌年1959年には、「男性から女性へハート型チョコレートをあげる」宣伝を始め、日本文化にバレンタインはチョコレートを男性から女性へを定着させました。
バレタインを始めたのはモロゾフになっている
現在、モロゾフの1936年にバレンタインデーの広告をしたのは間違いなくモロゾフがバレタインデーを始めたとされています。
これはモロゾフの広告が発見されたからです。1936年はモロゾフ本家とモロゾフ経営陣が、争っていた時期で曖昧になり宣伝した広告が見つかっていませんでした。
しかし、正式な広告が発見されてモロゾフがバレンタイデー発祥であるとされました。これはモロゾフの公式サイトでも書かれています。
じつはこれには闇深い話があるよ!あとで紹介するよ!
でもモルゾフの宣伝力でまったく浸透せず、モロゾフも現在の日本式のバレンタインを伝えていたわけではありませんでした。
日本式バレンタイデーを広めたのは間違いなく株式会社メリーチョコレートカンパニーでしょう。
日本にバレンタイデーを持ってきた | モルゾフ株式会社 |
日本式バレンタインデーを広めた | 株式会社メリーチョコレートカンパニー |
モロゾフの闇裏話
元々モロゾフは、戦火で逃げてきたロシア人家のモロゾフ家が始めたものです。
だから名前がモロゾフなんだよ
日本で事業を拡大しようとして、商工会議所に相談したところ、商工会議所の有力メンバーが紹介され経営を始めました。
しかし、このメンバーはモロゾフ本家への帳簿を見せなかったりと不信感を募る行動ばかりをしていたため、モロゾフ本家は経営陣と争うことになりました。
その結果、不思議なことにモロゾフ本家は敗訴しました。そして、モロゾフ本家にモロゾフの名前を日本で使うことを禁止されてしまいました。
よくわからない争いは、共同経営でありがちな争いだよね
そしてモロゾフ経営陣は、技術者も営業も全てモロゾフ本家の権利を剥奪して、モロゾフを経営し始めました。
現在のモロゾフ株式会社のホームページにバレンタインデーはモロゾフが発祥と書かれていますが、モロゾフの創業者は全員追放されてるんですよね。
こんなトラブルもあったため、モロゾフ経営陣はモロゾフ本家が前にしていた宣伝広告を把握しきれていなかったと言われています。
英字の新聞に宣伝してる時点で察するよね
その後、モロゾフ本家は名前を変えてお菓子屋さんを始めるが、戦争に巻き込まれお店は潰れしまいました。
その後、またお菓子屋さんを始めるが、経営悪化により2006年に廃業しています。
どこまで本当かわからないから裏話扱いだよ!
バレンタインデー発祥はモロゾフ
- モロゾフはバレンタインデー発祥
- メリーチョコレートが広めた
現在のチョコレート市場は3000億円あります。バレンタイデーの市場規模だけで1000億円あります。これを作りだすの貢献したのは、モロゾフとメリーチョコレートカンパニーです。
また最近の日本のバレンタインでは、チョコレートだけではなく「ギフト券」「クッキー」「お酒」「小物」など相手が喜ぶものをプレゼントすることも多いです。
その中でも驚いたのは梅干しをバレンタインにプレゼントすることです。
バレンタインデーで新しい日本文化が形成されてきてます